いざ!ミクロネシア連邦へ・・・
ことの始まりは、2006年2月12日の読売新聞12面に掲載されたコラムです。
NPOの活動を始めたころですから、4年ほど前に各方面からご教示頂いたのですが・・・
なんでも、南の島で旧日本陸軍の軽装甲車をレストアして走らせている人がいるとの記事。

ポナペ島(英語表記ポンペイ島)と言えば、嵐山美術館に飾ってあった九五式軽戦車(現在は英国へ引き取られました)の帰還先というくらいの認識はあったので、ぼちぼち調べていました。
話しは第二次大戦中に戻りますが、サイパンなどと共に日本の委任統治領であったポナペ島には戦車第二連隊から抽出された軽戦車中隊が島の守りを固めていました。昭和17年にガダルカナル島から始まった米軍の反撃は、飛び石作戦と呼ばれ、太平洋の島々の飛行場を確保しながら沖縄まで二年ほど掛けて侵攻しました。
ポナペ島は「飛ばされた島」だったので、艦砲射撃や空爆はあったものの、終戦まで米軍の上陸はなく、地上戦は行われませんでした。また、フィリピンのようなゲリラによる後方撹乱もなく、水も豊富で食料にも困ると言うことはなかったようです。
このため、戦後進駐した米軍による武装解除、引き揚げもスムーズに運び、現在も島民の対日感情は良好というより、親日です。このような事情から嵐山美術館への戦車の返還が実現したのだろうと想像します。
で、やって参りましたポナペ島のメインストリート。カラパタさんの写真展に触発されてそれっぽく撮影(笑)

実際にはいろいろな紆余曲折を経て、ガシュダ氏に会いに行ったのですが、そのお話は別の機会に・・・

当初、日本の青森ナンバーがついているので、国内に存在するのではないか?と一部マニアが騒然となった九七式軽装甲車は、やっぱりポナペ島にありました!

でもって、何で青森ナンバーが付いているかと言えば、この九七式軽装甲車のエンジンはNISSAN製のディーゼルエンジンに換装されており、その車両を輸入した折についていた日本のナンバーを取りつけたという微笑ましい「オチ」でした。
ガシュダ氏は親日家で、日本製の装甲車を蘇らせるのには、日本のエンジンで!と機種を選定してくれたそうです。
もちろん、オリジナルのエンジンも何時の日にか復活させたいと、工場の片隅にシートを掛けて保管されておりました。

戦闘室前方は、オリジナルを保っており、ミッションや操行装置は当時のオリジナルです。燃料タンクは新造されて居ますが、給油口などの小物はオリジナルを使っており好感が持てるレストア作業です。
第一目的の九七式軽装甲車との対面を果たし、次はいよいよ九五式軽戦車との対面です。(つづく)
NPOの活動を始めたころですから、4年ほど前に各方面からご教示頂いたのですが・・・
なんでも、南の島で旧日本陸軍の軽装甲車をレストアして走らせている人がいるとの記事。

ポナペ島(英語表記ポンペイ島)と言えば、嵐山美術館に飾ってあった九五式軽戦車(現在は英国へ引き取られました)の帰還先というくらいの認識はあったので、ぼちぼち調べていました。
話しは第二次大戦中に戻りますが、サイパンなどと共に日本の委任統治領であったポナペ島には戦車第二連隊から抽出された軽戦車中隊が島の守りを固めていました。昭和17年にガダルカナル島から始まった米軍の反撃は、飛び石作戦と呼ばれ、太平洋の島々の飛行場を確保しながら沖縄まで二年ほど掛けて侵攻しました。
ポナペ島は「飛ばされた島」だったので、艦砲射撃や空爆はあったものの、終戦まで米軍の上陸はなく、地上戦は行われませんでした。また、フィリピンのようなゲリラによる後方撹乱もなく、水も豊富で食料にも困ると言うことはなかったようです。
このため、戦後進駐した米軍による武装解除、引き揚げもスムーズに運び、現在も島民の対日感情は良好というより、親日です。このような事情から嵐山美術館への戦車の返還が実現したのだろうと想像します。
で、やって参りましたポナペ島のメインストリート。カラパタさんの写真展に触発されてそれっぽく撮影(笑)

実際にはいろいろな紆余曲折を経て、ガシュダ氏に会いに行ったのですが、そのお話は別の機会に・・・

当初、日本の青森ナンバーがついているので、国内に存在するのではないか?と一部マニアが騒然となった九七式軽装甲車は、やっぱりポナペ島にありました!

でもって、何で青森ナンバーが付いているかと言えば、この九七式軽装甲車のエンジンはNISSAN製のディーゼルエンジンに換装されており、その車両を輸入した折についていた日本のナンバーを取りつけたという微笑ましい「オチ」でした。
ガシュダ氏は親日家で、日本製の装甲車を蘇らせるのには、日本のエンジンで!と機種を選定してくれたそうです。
もちろん、オリジナルのエンジンも何時の日にか復活させたいと、工場の片隅にシートを掛けて保管されておりました。

戦闘室前方は、オリジナルを保っており、ミッションや操行装置は当時のオリジナルです。燃料タンクは新造されて居ますが、給油口などの小物はオリジナルを使っており好感が持てるレストア作業です。
第一目的の九七式軽装甲車との対面を果たし、次はいよいよ九五式軽戦車との対面です。(つづく)
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こんにちはD2です。
私も当時この記事を見て、まだまだ知らない車両が現存していることが何もない日本に比べ羨ましいなと思っていました。
この記事を頼りに現地に行かれるなんてすごい行動力に驚きます。
新聞切り抜きは、確かプラモの箱にしまって忘れていました。
私も当時この記事を見て、まだまだ知らない車両が現存していることが何もない日本に比べ羨ましいなと思っていました。
この記事を頼りに現地に行かれるなんてすごい行動力に驚きます。
新聞切り抜きは、確かプラモの箱にしまって忘れていました。
>D2さま
いえいえ、物事のあとさきを考えずに突っ走っているだけです(^^ゞ
実際、スタン・ガジュダ氏の連絡先が判明したのも、連絡してもまったく様子の判らない現地のコーディネーターさんを紹介してもらったのも、戦車博物館を創ろうという活動に賛同してくださる方々のご紹介です。
今回の収穫は、九七式軽装甲車の内部に入って、当時の雰囲気や実際の広さを感じたことです。
何とか、日本への里帰りも実現させたいですが、その交渉は時間と根気が必要です・・・
実現しちゃうとお金も掛かります(笑)
いえいえ、物事のあとさきを考えずに突っ走っているだけです(^^ゞ
実際、スタン・ガジュダ氏の連絡先が判明したのも、連絡してもまったく様子の判らない現地のコーディネーターさんを紹介してもらったのも、戦車博物館を創ろうという活動に賛同してくださる方々のご紹介です。
今回の収穫は、九七式軽装甲車の内部に入って、当時の雰囲気や実際の広さを感じたことです。
何とか、日本への里帰りも実現させたいですが、その交渉は時間と根気が必要です・・・
実現しちゃうとお金も掛かります(笑)