さてさてどうしたものか?
まずはこちらをご覧ください。
弊社レストア工房のブログより転載
===================================================
本日はお願いと言いましょうかマナーの話。
当工房に来店された事のある方ならお分かりでしょうが、工房の隣にミニミュージアムが併設されています。
もちろん周りにもベース車輌やレストア待ちの車輌が並べられています。ここのところ見学者も多く皆さん楽しく目を輝かせて見た事の無い車達を眺めていらっしゃいます。
しかし、先日こころない方々数名により憤りを感じています。
見学にきて眺めるまでは良かったのですが、ドアを開け乗り込みガチャガチャとイジリ・・・
展示車輌によりかかり談笑・・・。工房でレストア中のパーツ等に勝手に触ったり・・・。
最終的には、いつもお得意様やお友達が来たときの接待ドリンクが専用冷蔵庫に入れてあるのですが、
なんとすべて飲まれてました・・・。スッカラカンです・・・。
この様なことでは公開も考えてしまいます。一応自分が展示車の管理と展示配置などさせていただいています。
何か起こってからではお互いに嫌な気分になりますからね。
いままでの見学者さん達は小学生でも「写真撮ってもイイですか?」など声をかけていただいてました。
聞いていただければ喜んで「どーぞ」なんて言ったり説明したりしています。
なかには作業中の車輌は撮られたくない時や触られたくないのは当然でオーナーに引渡し前に触られたくないのですよ、自分でさえ神経を使って作業していますから。
只今、社内で協議中ですが
もしかしたら一般公開は中止になるかもしれません。
===================================================
とりあえず、当面のあいだ2階レストア工房への見学は弊社スタッフのエスコートが無い方はお断りさせて頂くことになりました。博物館的ではありますが、博物館ではなく、お客様や個人からの預かり車両もあり、手を触れる行為や勝手に乗り込むなど以ての外・・・。逆に言えば、一声掛けてくれれば問題はなかったのですが・・・。
2階駐車場にはレストア工房番頭の坂本が常駐しております。坂本が不在の場合にはジムニー秘密基地スタッフか、WMG番頭の赤木、サービススタッフ木下、そして社長の誰かの立ち会いの下でご見学ください。また、見学に際しては弊社スタッフへお声掛けの上、その者の指示に従ってくだるよう重ねてお願い申し上げます。
弊社レストア工房のブログより転載
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本日はお願いと言いましょうかマナーの話。
当工房に来店された事のある方ならお分かりでしょうが、工房の隣にミニミュージアムが併設されています。
もちろん周りにもベース車輌やレストア待ちの車輌が並べられています。ここのところ見学者も多く皆さん楽しく目を輝かせて見た事の無い車達を眺めていらっしゃいます。
しかし、先日こころない方々数名により憤りを感じています。
見学にきて眺めるまでは良かったのですが、ドアを開け乗り込みガチャガチャとイジリ・・・
展示車輌によりかかり談笑・・・。工房でレストア中のパーツ等に勝手に触ったり・・・。
最終的には、いつもお得意様やお友達が来たときの接待ドリンクが専用冷蔵庫に入れてあるのですが、
なんとすべて飲まれてました・・・。スッカラカンです・・・。
この様なことでは公開も考えてしまいます。一応自分が展示車の管理と展示配置などさせていただいています。
何か起こってからではお互いに嫌な気分になりますからね。
いままでの見学者さん達は小学生でも「写真撮ってもイイですか?」など声をかけていただいてました。
聞いていただければ喜んで「どーぞ」なんて言ったり説明したりしています。
なかには作業中の車輌は撮られたくない時や触られたくないのは当然でオーナーに引渡し前に触られたくないのですよ、自分でさえ神経を使って作業していますから。
只今、社内で協議中ですが
もしかしたら一般公開は中止になるかもしれません。
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とりあえず、当面のあいだ2階レストア工房への見学は弊社スタッフのエスコートが無い方はお断りさせて頂くことになりました。博物館的ではありますが、博物館ではなく、お客様や個人からの預かり車両もあり、手を触れる行為や勝手に乗り込むなど以ての外・・・。逆に言えば、一声掛けてくれれば問題はなかったのですが・・・。
2階駐車場にはレストア工房番頭の坂本が常駐しております。坂本が不在の場合にはジムニー秘密基地スタッフか、WMG番頭の赤木、サービススタッフ木下、そして社長の誰かの立ち会いの下でご見学ください。また、見学に際しては弊社スタッフへお声掛けの上、その者の指示に従ってくだるよう重ねてお願い申し上げます。
富士総合火力演習予行にミリドル登場!?


今年の火力演習は何かが違います・・・まずはこの20年近く取材に来ていた軍事ライターのM鷹さんとM宗さんが諸般の事情で欠席。さらに5分5分くらいの確率で雨に祟られるイメージなのに快晴が続き、とても天候には恵まれています。せっかく天候に恵まれても、残念なことに90式戦車の事故、F2戦闘機の事故が続き、射撃や飛行中止でプログラム的にはとても寂しく、クリープの入っていないコーヒー状態でした。
しかし本年は予行演習とは言え、マイクロバスの駐車券が入手出来たので、㈱カマドでお客様もお誘いしての団体見学となりました。初めての企画とは言え、勝手知ったる我が家のような会場です。昼間、夜間共に大きなトラブルもなく見学は終了。
初めて見学されたお客様にも概ね好評でしたので、来年度も企画したいなあと思います。

さてさて、いよいよ社長の小部屋にも「SATマガジン」でおなじみのミリドル乙夜さんが登場です!
右は次長のテラロッサ、皆様のお目当て乙夜嬢は左側です!
何?よく判らない?
そこは想像力でカバーだ!(笑)
灼熱の東静岡駅

夏休み期間が終わると、いろいろと寂しくなってしまいそうな「静岡ホビーフェアー」へ行ってきました。
目玉は1/1スケールガンダム!!我々の世代には欠かせない通過儀礼の様なものです。
御殿場高原から静岡市内へ下るととにかく暑い!アッサムリーダーでも作って置けば気分は盛り上がるのではないでしょうか?ガンダムは話始めると止まらないですよ。ほんとに。
しかし、ガンプラやこの1/1については知り合いから「意外と冷めているね」などと言われますが、ガンダムに登場するモビルスーツはパワードスーツであり、白兵戦兵器だったのに、なにやら途中から飛行機のように空を舞い、泥臭いイメージが無くなったからなのです。
現在流通している「ガンダム」や「ザク」のプラモデルは全面にアクセスハッチやメンテナンスハッチがあり、翼端等よろしく両肩にはマーカーランプ・・・いかん愚痴っぽくなったのでここで終了。あとは察してください。


本日は会場内を一回り、お台場ラーメンバトル会場にて「富山黒しょうゆラーメン」を頂きました。しかも接待です。静岡クリエイトのY様、ご馳走様でした。お土産には「ガンダムカフェ」でガンプラ焼きを購入。
遊んでいるようですが、しっかり仕事もしています。ホビーの歴史50年を振り返る資料館が特設されているのですが、入場料取るんですか?その価値あるんでしょうか?と思いつつ中へ入ると素晴らしい展示品の数々が・・・全く知らない木製ソリッドキットから始まり、黎明期のプラモデル、懐かしの子供のころに作ったプラモデルや、高くて買えなかったコレやアレなど仕事で早回しで見ても30分は掛かりました。
え?それが仕事かって?はい、来年年明けから3月の終了まで、ここの展示のお手伝いを㈱カマドからちょぴりすることになりました。内容は今のところ秘密です。楽しみだな~♪
中田商店コレクション
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先日予告した倉庫の中身は戦車でした!!びっくりでしょ?

まず目に飛び込んで来るのは、アメリカ陸軍のM47パットン戦車・・・しかし、このブログをお読みの方には映画「バルジ大作戦」のタイガー戦車と言った方が通りは良いかもしれません。
映画の中ではドイツ軍車両に扮し、重厚長大な存在感いっぱいにスクリーンを駆け回ります。その姿にシビレて戦車道に足を踏み入れたと言っても過言ではありません。戦車道とは戦車が走る道のことではなく、戦車を極める道のことです。念のため。
自由に見学&撮影OKとのことなので、逸る気持ちを落ち着けて、ここで足を踏み外したり、バランスを崩したら戦車道を極める者としてかっこ悪いぞ!いや、世間体などという邪念は捨ててご対面だ!などど思考回路がショート寸前の状態で、ゆっくりとハッチを開ける頃には気持ちはへスラー大佐です(判る人だけ判ってください)。

さて、ここで種明かしです。日本国内で戦車をそのまま所持することは武器の所持にあたりますから、法律違反になってしまいます。この倉庫にある車両はすべて数十年前に中田商店さんが、朝鮮戦争で使用されて廃車になったものを赤羽補給廠で鉄くずとして購入したものです。じっさいにサイコロステーキのように溶断されて払い下げられたスクラップを、がんばって繋ぎ合せて元の形に復元した、無可動実物なのです。
大砲の砲尾閉鎖器は割りばしのように縦に切られたものを繋ぎ、その上で再使用出来ない様に一部をカットしてあります、砲身も数分割に輪切りにされたものを繋いであるようです。
車体内部はドンがらで、エンジンやミッションなど機能部品はありません。さらに床面には直径10cmほどの穴が無数に穿たれ「おいらはただの置物なんだよ~」と見る者に訴えており、自分のような機械好きには何やら卑猥なモノを見るようでで、目を背けたくなります。

「では教育してやるか!」
「この倉庫の中には5台の装甲戦闘車両が保管されており、すべてアメリカ軍で使用されていたものだ。」

「おい白シャツ、お前が覗き込んでいるがM36ジャクソン駆逐戦車だ。」「何をキョロキョロしている!お前のことだ!」「そうだ、お前だ!自衛隊が61式戦車の開発時に、90mm戦車砲を25tクラスの戦車に搭載するという問題に取り組むために参考にした車両だ!そういう視点で見ると防楯や砲耳の形が61式戦車に似ているだろう?」
「なるほど~、だと・・・貴様!社長がモノを教えたときには、ありがとうございます社長殿!社長が指示を出した時には、かしこまりました社長殿!だっ!!」「よし、その場で腕立て100回!」
「黒メガネ君・・・そうだ、俺ですか?って自分を指さしている君だ!」「そのM41軽戦車は米軍から自衛隊に供与されていたが、すべて返却されて台湾やタイへ再供与されたらしく、日本国内には公式には一台も存在しないことになっておる幻の戦車なのだ」
「そうなんですか?って・・・貴様そんなことも知らんで汚い足でM41に乗るな!」「よし、その場で腕立て100回!」

さて、邪魔者を排除したところでゆっくり観察してみましょう。このM41軽戦車は61式戦車の配備数が十分な数になるまでの繋ぎとして自衛隊に供与されました。使い勝手がよく、時速70kmの高速をほこり、今でも古株の自衛隊戦車隊員の間では評判の良い戦車です。タイ国陸軍は現在でもまとまった数のM41を運用しているので、廃車になるものを一台でも自衛隊で譲渡輸入して、展示保管してもらいたいです。

こちらはM24軽戦車の車体を利用したM37自走砲。右側の車両は50年代、60年代を通じて大量に配備されたM59兵員輸送車。M37自走砲は、この後登場するM108、M109自走榴弾砲に比べると前大戦のM7自走砲の発展型で古臭いデザインを踏襲している一方、M59兵員輸送車は、この後登場するM113のデザインがすでに完成されており、大戦中のハーフトラック型兵員輸送車とは既に一線を画しています。
戦後第一世代のこれらの車両は資料が少なく、興味を持つ研究家も少ないので現物があるということ自体が意味を持つと思われます。
「ん、腕立てご苦労。それでは撤収準備!」
「荷物を車へ、エアコンは全開だ!」
そろそろ御殿場へ帰る時間です。このコレクションについては、いずれこのブログで触れることに致します。
先日予告した倉庫の中身は戦車でした!!びっくりでしょ?


まず目に飛び込んで来るのは、アメリカ陸軍のM47パットン戦車・・・しかし、このブログをお読みの方には映画「バルジ大作戦」のタイガー戦車と言った方が通りは良いかもしれません。
映画の中ではドイツ軍車両に扮し、重厚長大な存在感いっぱいにスクリーンを駆け回ります。その姿にシビレて戦車道に足を踏み入れたと言っても過言ではありません。戦車道とは戦車が走る道のことではなく、戦車を極める道のことです。念のため。
自由に見学&撮影OKとのことなので、逸る気持ちを落ち着けて、ここで足を踏み外したり、バランスを崩したら戦車道を極める者としてかっこ悪いぞ!いや、世間体などという邪念は捨ててご対面だ!などど思考回路がショート寸前の状態で、ゆっくりとハッチを開ける頃には気持ちはへスラー大佐です(判る人だけ判ってください)。



さて、ここで種明かしです。日本国内で戦車をそのまま所持することは武器の所持にあたりますから、法律違反になってしまいます。この倉庫にある車両はすべて数十年前に中田商店さんが、朝鮮戦争で使用されて廃車になったものを赤羽補給廠で鉄くずとして購入したものです。じっさいにサイコロステーキのように溶断されて払い下げられたスクラップを、がんばって繋ぎ合せて元の形に復元した、無可動実物なのです。
大砲の砲尾閉鎖器は割りばしのように縦に切られたものを繋ぎ、その上で再使用出来ない様に一部をカットしてあります、砲身も数分割に輪切りにされたものを繋いであるようです。
車体内部はドンがらで、エンジンやミッションなど機能部品はありません。さらに床面には直径10cmほどの穴が無数に穿たれ「おいらはただの置物なんだよ~」と見る者に訴えており、自分のような機械好きには何やら卑猥なモノを見るようでで、目を背けたくなります。

「では教育してやるか!」
「この倉庫の中には5台の装甲戦闘車両が保管されており、すべてアメリカ軍で使用されていたものだ。」

「おい白シャツ、お前が覗き込んでいるがM36ジャクソン駆逐戦車だ。」「何をキョロキョロしている!お前のことだ!」「そうだ、お前だ!自衛隊が61式戦車の開発時に、90mm戦車砲を25tクラスの戦車に搭載するという問題に取り組むために参考にした車両だ!そういう視点で見ると防楯や砲耳の形が61式戦車に似ているだろう?」
「なるほど~、だと・・・貴様!社長がモノを教えたときには、ありがとうございます社長殿!社長が指示を出した時には、かしこまりました社長殿!だっ!!」「よし、その場で腕立て100回!」
「黒メガネ君・・・そうだ、俺ですか?って自分を指さしている君だ!」「そのM41軽戦車は米軍から自衛隊に供与されていたが、すべて返却されて台湾やタイへ再供与されたらしく、日本国内には公式には一台も存在しないことになっておる幻の戦車なのだ」
「そうなんですか?って・・・貴様そんなことも知らんで汚い足でM41に乗るな!」「よし、その場で腕立て100回!」

さて、邪魔者を排除したところでゆっくり観察してみましょう。このM41軽戦車は61式戦車の配備数が十分な数になるまでの繋ぎとして自衛隊に供与されました。使い勝手がよく、時速70kmの高速をほこり、今でも古株の自衛隊戦車隊員の間では評判の良い戦車です。タイ国陸軍は現在でもまとまった数のM41を運用しているので、廃車になるものを一台でも自衛隊で譲渡輸入して、展示保管してもらいたいです。


こちらはM24軽戦車の車体を利用したM37自走砲。右側の車両は50年代、60年代を通じて大量に配備されたM59兵員輸送車。M37自走砲は、この後登場するM108、M109自走榴弾砲に比べると前大戦のM7自走砲の発展型で古臭いデザインを踏襲している一方、M59兵員輸送車は、この後登場するM113のデザインがすでに完成されており、大戦中のハーフトラック型兵員輸送車とは既に一線を画しています。
戦後第一世代のこれらの車両は資料が少なく、興味を持つ研究家も少ないので現物があるということ自体が意味を持つと思われます。
「ん、腕立てご苦労。それでは撤収準備!」
「荷物を車へ、エアコンは全開だ!」
そろそろ御殿場へ帰る時間です。このコレクションについては、いずれこのブログで触れることに致します。
BMWサイドカー公道デビュー

こんなに苦労するとは思わなかったサイドカー・・・生産コスト、運航コストが掛かり過ぎてキューベルワーゲンに配備が切り替わったという、その苦労を身をもって感じた次第です。
キューベルワーゲンやMB/GPWジープに比べると明らかに作りが凝っていて、メンテナンスや運転操作に習熟が必要です。これは趣味としては楽しいかもしれませんが、仕事としては勘弁して欲しい感じ。おそらく軍用サイドカーは2度と輸入しないことでしょう。あ、博物館に入れるという目的では輸入はあるかもしれませんが、販売目的では割に合いません。
とにもかくにも、ナンバーが付いて公道を長時間走らせて、キャブレター調整や点火時期調整など納車に向けて最終整備に入りました。
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橘祭

郷土連隊という言葉をご存じですか?小学校の校区みたいな感じで、応召した兵隊さんが入営する連隊のことです。ちなみに静岡は歩兵34連隊で、大東亜戦争までは駿府城に駐屯していたそうです。戦後、陸上自衛隊が創設され静岡郷土連隊を受け継いで、御殿場の地に「板妻駐屯地普通科34連隊」として伝統を守り今に至ります。
歩兵34連隊と言えば橘中佐のエピソードは切っても切れない訳でして、自分も大凡は判っていたつもりですが、本日初めて「橘祭」に参加してその意味を感じて参りました。


自分の曾祖父も祖父も、静岡34連隊でした。祖父の戦歴は漠然と聞いておりますが、面識が無い曾祖父は座敷の記念写真で日露戦争従軍歴があるということが判るくらいです。家族内でもすでに詳細が分かる人も居らず、もしかしたら橘連隊だったのかな?などと思うと感慨深いものがあります。
写真右は橘中佐のお孫さん(といっても還暦を回られております)で、長崎県の「橘神社」の宮司さんをしておられる方が駆けつけてご挨拶されておりました。時代は変われど、人の営みは綿々と切れることがありません。歴史教育という魔法の言葉に惑わされることなく、祖先の足跡はしっかり確認し、記録するべきで、これが出来ない国や民族は滅び行くのだと感じます。大上段に構えることなく、自分の日常を綴る日記やブログは大切な記録だと思います。

そこで、記録その1、板妻駐屯地に昨年やってきた74式戦車(笑)
富士学校で用途廃止になった車両で、今回確認したところ製造番号はSTB-0389号車、昭和57年12月の生産。74式戦車の展示に伴い、同地に展示されていた61式戦車は駒門駐屯地へ移されました。錆びた履帯が痛々しいですが、逆に昨年まで生きていた証です。来年以降は黒ペンキをべったり塗られてしまうことでしょう。
埼玉県某所へ・・・

本日はその筋では有名な個人コレクションを見学に埼玉県某所へ。そのコレクション収蔵施設はコチラです。
えっ?中身は何かって?
残念ながらオーナー様からWeb公開の許可を頂いておりませんので、しばしお待ちください。近日中にオーナー様のOKが出ると思いますので、その後に詳細報告を致したく存じます。
しかし、お腹いっぱいです。やはり本物は迫力が違いますね・・・・
9月10日よりチェコ共和国へ・・・
夏休みを遅めにしてチェコ共和国へ行ってきます。

チェコと言えば「どこ?」と聞かれるので、まずは地図。そして首都プラハの街並み。
「また渋いところに行くんですね~」などと切り返す方は、まだまだ自分との付き合いが浅い方ですね(笑)
チェコと言えば・・・・

38(t)戦車やヘッツァー駆逐戦車の生産で有名です。
そうなんです。第二次大戦中はドイツ領に組み込まれ、ドイツの戦闘車両を生産する工場が数多く門を構えていたのです。

こちらのハーフトラックはドイツ軍のSd.Kfz251にそっくりですが、戦後にチェコ国内に残された生産設備を受け継いでチェコ陸軍向けにディーゼルエンジンに換装するなどの仕様変更した、OT-810ハーフトラックです。白い排気ガスを引いていますが、マイバッハエンジンの調子が悪いのではなく、ディーゼルの排気ガスだからです。
戦争映画でドイツ軍装甲車に化けて出演回数は多く、マニアの間では有名な車両です。
運悪く?ソ連占領下となり共産化したチェコスロバキアは、68年の「プラハの春」事件を経て、90年代の東欧自由化の流れに乗り民主化を成し遂げました。しかし、それまでの数十年を東ドイツとともにワルシャワ条約機構の武器工場として西側からみれば一世代、二世代旧式の兵器を製造し続けたのです。
自分のような軍用自動車マニアにとって幸運だったのは、高度経済成長もなく、計画経済のなかで戦後の時間は緩やかに流れたようで、信じられないことながら第二次世界大戦当時のドイツ軍車両の部品金型や製造機械が一部21世紀の今に残されたことでしょう。
0T-810ハーフトラックなどは軍用車両のシーラカンスみたいな物です。現在でも比較的程度の良い車両が中古で流通しているのですから・・・・
って、こんな重量がある車両を仕入れて来たりしませんからね!!!

今回の目的はコチラ。数年前からキューベルワーゲンの部品を供給してくれる個人工場です。現在カマドに展示中のリファービッシュ・キューベルワーゲンの製造会社でもあります。おそらく世界中のキューベルワーゲンとシュビムワーゲンオーナーがお世話になっているお店です。プラハ近郊にあるこのお店のIvoさんが車でチェコを案内してくれるそうなのでとても深~い旅になりそうです。ケッテンクラートの部品を供給してくれるお店もプラハ近郊なので今回訪問する予定です。レストア中のキューベルワーゲンやケッテンクラートなどのドイツ軍ソフトスキン車両をはじめ、T34戦車、その他WW2の重車両も多数見学できるようです。
通訳として同行する妻には申し訳けないのですが、一般的な観光コースとはまったく違ったチェコ共和国を堪能して参ります(笑)
雑誌の取材がメインですが、部品や車両の仕入れもしてくるつもりです。
お土産のリクエストも含めて早めにご相談ください


チェコと言えば「どこ?」と聞かれるので、まずは地図。そして首都プラハの街並み。
「また渋いところに行くんですね~」などと切り返す方は、まだまだ自分との付き合いが浅い方ですね(笑)
チェコと言えば・・・・


38(t)戦車やヘッツァー駆逐戦車の生産で有名です。
そうなんです。第二次大戦中はドイツ領に組み込まれ、ドイツの戦闘車両を生産する工場が数多く門を構えていたのです。

こちらのハーフトラックはドイツ軍のSd.Kfz251にそっくりですが、戦後にチェコ国内に残された生産設備を受け継いでチェコ陸軍向けにディーゼルエンジンに換装するなどの仕様変更した、OT-810ハーフトラックです。白い排気ガスを引いていますが、マイバッハエンジンの調子が悪いのではなく、ディーゼルの排気ガスだからです。
戦争映画でドイツ軍装甲車に化けて出演回数は多く、マニアの間では有名な車両です。
運悪く?ソ連占領下となり共産化したチェコスロバキアは、68年の「プラハの春」事件を経て、90年代の東欧自由化の流れに乗り民主化を成し遂げました。しかし、それまでの数十年を東ドイツとともにワルシャワ条約機構の武器工場として西側からみれば一世代、二世代旧式の兵器を製造し続けたのです。
自分のような軍用自動車マニアにとって幸運だったのは、高度経済成長もなく、計画経済のなかで戦後の時間は緩やかに流れたようで、信じられないことながら第二次世界大戦当時のドイツ軍車両の部品金型や製造機械が一部21世紀の今に残されたことでしょう。
0T-810ハーフトラックなどは軍用車両のシーラカンスみたいな物です。現在でも比較的程度の良い車両が中古で流通しているのですから・・・・
って、こんな重量がある車両を仕入れて来たりしませんからね!!!

今回の目的はコチラ。数年前からキューベルワーゲンの部品を供給してくれる個人工場です。現在カマドに展示中のリファービッシュ・キューベルワーゲンの製造会社でもあります。おそらく世界中のキューベルワーゲンとシュビムワーゲンオーナーがお世話になっているお店です。プラハ近郊にあるこのお店のIvoさんが車でチェコを案内してくれるそうなのでとても深~い旅になりそうです。ケッテンクラートの部品を供給してくれるお店もプラハ近郊なので今回訪問する予定です。レストア中のキューベルワーゲンやケッテンクラートなどのドイツ軍ソフトスキン車両をはじめ、T34戦車、その他WW2の重車両も多数見学できるようです。
通訳として同行する妻には申し訳けないのですが、一般的な観光コースとはまったく違ったチェコ共和国を堪能して参ります(笑)
雑誌の取材がメインですが、部品や車両の仕入れもしてくるつもりです。
お土産のリクエストも含めて早めにご相談ください

エンジン始動!
本日17日よりカマドは平常営業です。それにしても暑いですね~!!

そしてこちらは夏休み前日に完成。夏休み中にエンジン始動し、場内を走らせてみたところ絶好調のBMWR75サイドカーです。明日にはナンバーが付き、その後に控える長距離試乗へ望みます。路上テストが終了するといよいよお客様にお引渡しです。一年半掛かっちゃいました・・・お待ちいただいたオーナーさま申し訳ありませんでした。
さて、お次の課題はツンダップKS750サイドカーです!!

そしてこちらは夏休み前日に完成。夏休み中にエンジン始動し、場内を走らせてみたところ絶好調のBMWR75サイドカーです。明日にはナンバーが付き、その後に控える長距離試乗へ望みます。路上テストが終了するといよいよお客様にお引渡しです。一年半掛かっちゃいました・・・お待ちいただいたオーナーさま申し訳ありませんでした。
さて、お次の課題はツンダップKS750サイドカーです!!
13日の金曜日

長野県は小渕沢へのツーリング後、ダイナモプーリー修理で入庫中だった42年式キューベルのお引き取りにIさんが来店。帰省ラッシュとUターンラッシュの谷間を縫ってと言いたいところですが、実際には明らかに例年と違う道の流れに一発勝負です。結果はオーライ。帰りも大きな渋滞もなく無事に東京まで帰着したそうで何よりでございます。

夜は久々に高校時代の同級生と飲み会。いろいろとあって2年ぶりの開催です。まあ、皆それぞれに元気です。楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、夜はレッカー電話番・・・。
カマド本社は夏休み
8月16日(月)までカマド本社は夏休みです。もちろんロードサービススタッフは24時間待機ですが、今週は火曜、木曜日に神保町編集部へお出かけでした。
10日の火曜日にはカマド出版からの戦車の本第三弾の表紙の件で、佐藤元信画伯と打ち合わせ。その後、夕方には軍事評論家の古是三春さんと市ヶ谷の防衛省へ。今回初めて大臣官房広報課へ行って参りました。いわゆる背広組と呼ばれる方に「御殿場タンクミュージアム準備会」の趣旨説明に上がったのですが、初回と言うことで顔合わせ程度の会合。民間からこのようなオファーは初めてとのことで、思い当たる問題をどのように解決していくのか?今後も情報交換をして行く方向で穏やかに終了。本番は次回以降ですね。

12日の木曜日にはミリタリー業界の大御所、中田商店の中田社長と面談。30年ほど前に中田社長が構想し、現在は計画が中断している戦争巡回博物館の収蔵車両について貴重なお話を伺うことが出来ました。かねてより噂のM41軽戦車があることが確認できたことが最大の収穫でしょう。自衛隊が70年代後半まで使用していたにも関わらず現在国内に現存する車両(中田コレクションは中身は空っぽですが)はこれ一台だけです。
写真はかなり前に撮影されたもので、現在では倉庫の中で屋内保管されているそうです。こちらの収蔵車両については近日中に見学の許可を頂きましたので、追って詳細をご報告出来ると思います。
10日の火曜日にはカマド出版からの戦車の本第三弾の表紙の件で、佐藤元信画伯と打ち合わせ。その後、夕方には軍事評論家の古是三春さんと市ヶ谷の防衛省へ。今回初めて大臣官房広報課へ行って参りました。いわゆる背広組と呼ばれる方に「御殿場タンクミュージアム準備会」の趣旨説明に上がったのですが、初回と言うことで顔合わせ程度の会合。民間からこのようなオファーは初めてとのことで、思い当たる問題をどのように解決していくのか?今後も情報交換をして行く方向で穏やかに終了。本番は次回以降ですね。

12日の木曜日にはミリタリー業界の大御所、中田商店の中田社長と面談。30年ほど前に中田社長が構想し、現在は計画が中断している戦争巡回博物館の収蔵車両について貴重なお話を伺うことが出来ました。かねてより噂のM41軽戦車があることが確認できたことが最大の収穫でしょう。自衛隊が70年代後半まで使用していたにも関わらず現在国内に現存する車両(中田コレクションは中身は空っぽですが)はこれ一台だけです。
写真はかなり前に撮影されたもので、現在では倉庫の中で屋内保管されているそうです。こちらの収蔵車両については近日中に見学の許可を頂きましたので、追って詳細をご報告出来ると思います。
BSサミット静岡東部地区納涼祭
毎年恒例になったBSサミットの地区納涼祭、本日は西部地区との同時開催です。

沼津東急ホテルの会場には、各損保会社さまのセンター長以下、女性スタッフが勢ぞろい。日常業務で毎日のように電話でお話はする方々と対面して懇親を深めるのが目的です。初めて参加される保険会社スタッフさんの中には、受け付けで声を聞いただけで「あ、本物の○○さんだ!」などと感動してくださる方も居るくらい。
和やかな雰囲気の中、楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行きます・・・。これが終わると、いよいよ夏休みの足音が聞こえてきます。


沼津東急ホテルの会場には、各損保会社さまのセンター長以下、女性スタッフが勢ぞろい。日常業務で毎日のように電話でお話はする方々と対面して懇親を深めるのが目的です。初めて参加される保険会社スタッフさんの中には、受け付けで声を聞いただけで「あ、本物の○○さんだ!」などと感動してくださる方も居るくらい。
和やかな雰囲気の中、楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行きます・・・。これが終わると、いよいよ夏休みの足音が聞こえてきます。
北海道へ!一泊二日弾丸ツアーの巻
なぜだかレッカー出動が激増中の御殿場近郊。世間は夏休みなのですね。レッカー出動が終わったのは午前様になるころ・・・北海道出張の荷づくりも未着手の状態で、日付は変わり当日はAM3:30起床、4:30出発で羽田空港へ向かう予定でした。しかし、連日のレッカー出動による電話当番のため時間の感覚がマヒしておる上に、目ざまし時計の故障と言うアクシデントで出発が一時間遅れてしまい、予定の飛行機に乗り遅れると言う最悪のスタート。ほぼ徹夜状態のため、羽田空港までのドライブもアドレナリンで乗り切ります。

新千歳空港でレンタカーを借り出すころにはAM10:30を回り、札幌市内の取材先へ向かう道すがら、お目当てのラーメン屋さんで昼食です。王道すぎますか?北海道味噌ラーメンと言えば「すみれ」でしょう。実は醤油派の自分は、先月初めて磐田のららぽーと内で「すみれ」の味噌ラーメンを食べてから、気になっており本店でも食べてみようと言う魂胆で行ってきました。独特の濃いみそスープにラードでアツアツの所を頂いて参りました。美味しかったです。はい。

そして、目的地の株式会社中山組さんがコチラ!
チハ車改造のブルドーザーを5台使用していたと会社の沿革に書いてあることを、若獅子神社HP管理人H様より教えて頂いたのは二月ほど前。社長様宛に取材の申し込みをしたところ、ご快諾頂いたばかりか、当時の担当社員さんを会議室に呼んでくださるのでいらしてくださいとの事。シッポを振り振り札幌市内まで来たわけです。
当時の藤中さんという元陸軍軍曹で戦車兵の方の人脈で、三菱からチハ改造ブルドーザーを導入されたそうです。藤中さんは残念ながら数年前に亡くなられており、今回は整備担当だった山内さんと、現場責任者だった中島さんにお話を伺うことが出来ました。お二人の記憶では、改造ブルドーザーは3台しかなかったとのこと。昔の話なので、記憶も曖昧なところもありますが、当時の苦労話やトラブルにまつわるエピソードは面白可笑しく拝聴させて頂きました。今回の取材も含めて、この秋発売予定の「日本陸軍の戦車」の中で戦車改造ブルドーザーについてコラムにまとめますのでご期待下さい。
このたびの取材に御配慮いただきました、株式会社中山組さまの情報システム部の真鍋さまにこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

さてさて取材も終わり、別件でロイズコンフェルト本社へ出頭。こちらは戦果は芳しくないですが、任務は終了。札幌市内の宿へ向かいます。チェックインの後、妻が下調べしてくれた地元で人気の「ジンギスカン」屋さんへ出発。
すすきの繁華街にある「だるま6.4店」さんへ。これが予想を裏切る展開で、マトン焼き肉と言った按配。少し辛口のタレと相まって美味しかったです。しかも二名で食べて、ビールも飲んで4000円弱!一人2000円しません・・・安すぎ。寝不足で体調も悪く、確かに食べる量も少なかったですが、大満足・・・いや、体調の良い時に再度チャレンジしたいと思いながらお店を後にしました。
何だか取材報告ではなくて、食べ物日記みたいですが、いつものことなので気にしないでください(笑)


新千歳空港でレンタカーを借り出すころにはAM10:30を回り、札幌市内の取材先へ向かう道すがら、お目当てのラーメン屋さんで昼食です。王道すぎますか?北海道味噌ラーメンと言えば「すみれ」でしょう。実は醤油派の自分は、先月初めて磐田のららぽーと内で「すみれ」の味噌ラーメンを食べてから、気になっており本店でも食べてみようと言う魂胆で行ってきました。独特の濃いみそスープにラードでアツアツの所を頂いて参りました。美味しかったです。はい。

そして、目的地の株式会社中山組さんがコチラ!
チハ車改造のブルドーザーを5台使用していたと会社の沿革に書いてあることを、若獅子神社HP管理人H様より教えて頂いたのは二月ほど前。社長様宛に取材の申し込みをしたところ、ご快諾頂いたばかりか、当時の担当社員さんを会議室に呼んでくださるのでいらしてくださいとの事。シッポを振り振り札幌市内まで来たわけです。
当時の藤中さんという元陸軍軍曹で戦車兵の方の人脈で、三菱からチハ改造ブルドーザーを導入されたそうです。藤中さんは残念ながら数年前に亡くなられており、今回は整備担当だった山内さんと、現場責任者だった中島さんにお話を伺うことが出来ました。お二人の記憶では、改造ブルドーザーは3台しかなかったとのこと。昔の話なので、記憶も曖昧なところもありますが、当時の苦労話やトラブルにまつわるエピソードは面白可笑しく拝聴させて頂きました。今回の取材も含めて、この秋発売予定の「日本陸軍の戦車」の中で戦車改造ブルドーザーについてコラムにまとめますのでご期待下さい。
このたびの取材に御配慮いただきました、株式会社中山組さまの情報システム部の真鍋さまにこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。


さてさて取材も終わり、別件でロイズコンフェルト本社へ出頭。こちらは戦果は芳しくないですが、任務は終了。札幌市内の宿へ向かいます。チェックインの後、妻が下調べしてくれた地元で人気の「ジンギスカン」屋さんへ出発。
すすきの繁華街にある「だるま6.4店」さんへ。これが予想を裏切る展開で、マトン焼き肉と言った按配。少し辛口のタレと相まって美味しかったです。しかも二名で食べて、ビールも飲んで4000円弱!一人2000円しません・・・安すぎ。寝不足で体調も悪く、確かに食べる量も少なかったですが、大満足・・・いや、体調の良い時に再度チャレンジしたいと思いながらお店を後にしました。
何だか取材報告ではなくて、食べ物日記みたいですが、いつものことなので気にしないでください(笑)
予備タンク

さて、小淵沢までの遠距離出動にあたり、40リットルの内蔵タンクでは心もとないので予備のジェリ缶を装着。チェコ人が気前よく前後二つ付けてくれたうちの一個は1943年製の車に合わせた当時ものなので飾りとしてリヤ側に搭載。使い勝手のよさそうなフロント側には70年代製造のものを実用で付けてみました。とは言え、自分と変わらない年齢なので、キャップのゴムは劣化していて漏れそうな予感・・・そこで思い出したのが、ITF社の石川さんのブログ。たしかNATO軍ジェリ缶の交換用ゴムパッキンを大量に輸入したとか言う記事を読んだ覚えが・・・早速、弊社骨董四駆番頭を通じて問い合わせると、やはりありました!

ジャジャ~ン!こちらが新品パッキン。形はまったくもって同じ。どうもマニアと言う人種は偏った考えに支配されがちで(自分もその一人ですが・・・)、ジェリ缶は実用品ではなくコレクションアイテムと思いこみ、このような補修部品があるという方向に想いが至りません。実際に入手してみればコロンブスの卵です。
交換してみると、折からの猛暑でアツアツの鉄缶に気化したガソリンが完全に密封されて缶本体が膨らむほどの密閉度です♪なにしろラックから取り出せなくなり焦ったくらいです。落ち着いて蓋を開けてガスを逃がそうと考えが至るまで、力任せに引っ張っていたのは内緒です(笑)
逆に目的地の清里高原で一度開けてみたので、平地に帰ってくると気圧の関係で微妙に側面が凹む程の密封度が得られました。ドイツ軍タイプのジェリ缶を実用しようと思う方、ITFさんにてこのパッキンを購入、交換することをお勧めです!!
ITFさんのホームページはこちら
長野県富士見町へ・・・

AM4時起床、5時出発。昨日はハードスケジュールなんて日記に書きましたが、今日はそんなもんじゃありません。1942年式と43年式の2台のキューベルワーゲンで「MVサマーキャンプ」へ日帰り参加です!!

富士山を越えるあたりでそれなりの雨に打たれながらも、河口湖を抜けて御坂峠を越える。国道20号に入ってからは、目的地の道の駅蔦木宿まで一本道です。甲府市内を抜けて、一息ついたコンビニの駐車場で第一トラブル発生。42年式のキューベルがバッテリー上がりのような症状でスターターが弱々しくしか回らず始動しません!!
こんなこともあろうかと思って、標準装備のクランクハンドルで始動。エンジンが掛って見ると、発電量は問題ありません・・・と言うことは?とりあえずスターターモーターの不良を疑って車体に潜り込むと、振動でモーターの取り付けボルトが緩んでおりました!!はい、アース不良です。これを締めたら一発解消、無事にエンジンはスイッチ一つで始動します。

そんなこんなで、3時間少々で目的地へ到着。10時からのミニ・ツーリングにもインターメカニカキューベルとともに三台で参加。10数台のコンボイですが、途中オーバーヒートでウイリスMBが脱落、さらにパーコレーションでM151A2が脱落・・・清里へ向かう山道はMVが死屍累々といった感じです。しかし、空冷エンジンは標高が上がり気温が下がるにつれ元気が出るようで、2台のオリジナルキューベル共に完走!えっへん。
会場に戻って記念撮影後に解散となりました・・・ここからが長い帰路が待っております。帰りは渋滞を見越して「小淵沢」~「一宮御坂」間を高速道路を利用。甲府市内は35度越えでキューベルのエンジン油温も90度を超えます。さらに「河口湖」から東冨士周遊道へ入ったところで社会実験の恩恵を被りました・・・無料ですが、今まで経験したことのない渋滞です

暑さに苦しみながらも、この渋滞以外は順調に進み、やはり3時間少々で帰宅。なんとか2台とも無事に帰って来れました。
さてさて、今年はキューベルで、イベントに出来るだけ顔出ししようと思います。第一段は何とか無事終了。次は9月のCGクラブのミーティングでしょうか?楽しみです。