英国からの帰還の巻
今回の英国訪問の目的は、ボービントン戦車博物館に3年間預けてあった我らが九五式軽戦車ハ号の日本への里帰りの下準備でであります。まずはボービントン戦車博物館へお伺いして3年間の保管のお礼をして、博物館から30分程度の民間施設へ移送されたハ号の最終整備リストを現地と再確認しました。

エンジンは好調ですが、運転操作を実習中に排気管から大量の白煙を吹いて急速にパワーダウン!?
これは異常発生か?と焦って確認すると燃料噴射ポンプとエンジンタイミングギアーから出力軸を繋ぐフランジボルトが一本脱落して噴射タイミングが狂っておりました。脱落ボルトを再度取付けして運転再開後は燃焼状態も良くなり通常運転へ・・・
本当にビックリしましたが、良い経験になりました。
当時の文献には、ハ号はフォードトラックの運転を少し難しくした感じで、チハ車はハ号に比べると走らせるのが大変難しく、止めるのも同様に難しいとあります。実際に運転した感覚としては、ハ号に関してはノンシンクロの大型トラックの運転と比べて、ハンドル操作が楽ちん。ギアチェンジはダブルクラッチに失敗すると低速ギアは本当に絶望的な操作性。この感覚はどこかで・・・と思ったら、20年ほど前のモンゴルでのT54操縦体験と酷似しています。まさかT54戦車の操縦が役に立つ日が来るとは思いませんでした。何事も経験ですね!?

左から英国でのハ号整備担当のアンドリューさん、前オーナーのオリバーさん、自分の右はNPO賛助会員で海外渉外担当の岸田さん。今回は通訳や各署との交渉で活躍してくださいました。
2019年に受領検査の際に発覚した未整備個所の作業は、武漢熱によるロックダウンの影響で大幅に遅れたものの、現在は順調に進んでおり、この分なら年内には引き渡し可能になるではないか?とのこと。そうなるといよいよ日本への移送手段の確保と、輸送費の捻出が急がれます。

今回の英国10日間の滞在は、これまでで一番長い海外旅行となりました。
なんとか振り出しのヒースロー空港から羽田へ飛び立つことが出来ました。
そもそも、武漢熱による航空便減便の影響で、現地到着時刻が夕方となるので空港周辺に一泊してから動き始めるというスケジュールで一日余分にかかること。さらに帰路の飛行機搭乗前72時間以内のPCR検査が必要ということで、万が一に備えて帰国2日前にヒースロー空港周辺に戻ってPCR検査を受けることにして最終日は丸一日予備日としたための10日間という旅程になりました。通常なら6日か7日で済んだ旅程ですね・・・"(-""-)"

今回、航空会社から案内があって初めて知ったアプリ「MySOS」。
最初は赤い画面背景なのですが、渡航先情報や搭乗航空路線情報、ワクチン接種情報などを登録すると黄色背景に変わり、英国でのPCR検査結果を登録するとご覧のように青色背景に変わって、無事に帰路の飛行機に乗ることが出来るというシロモノ。
こんなことやってる国は日本以外にもあるのでしょうか?

今回のフライトはウクライナ情勢を受けて、往路はロシア上空を避けて北極圏を飛行したために、羽田離陸後に太平洋を北北東に進んだので、いったいどこに向かっているのかパニックになる始末。帰路はご覧のとおりトルコ上空を抜けて南回りでの帰国となりました。遠いです・・・

10日間も羽田空港にクリマを駐車すると駐車料金も馬鹿にならないというのと、前回オーバーブッキングで搭乗便変更となり成田に降ろされて羽田までクルマを取りに戻った苦い経験から、今回はリムジンバスで新宿へ、そこから高速バスで御殿場へ帰る経路を選択。車内アナウンスが日本語ってこんなに嬉しいことはない!?

リムジンバスのお外が暗いことからお判りの通り、時間も遅かったのでバスタ新宿至近のホテルに一泊して朝一番のバスで御殿場に帰ったのですが、ホテルの朝食会場には「英国フェア」の文字と共にユニオンジャックが並びます!何かの悪い冗談かとおもいましたが、朝食はイングリッシュブレックファースト以外も選べたので良しとします。
今回の英国滞在ではモンティイパソンを連想させる出来事が多く、英国式ブラックジョークの洗礼をタップリ受けて来ましたので、新宿のホテルでの英国フェアで、それらの出来事と旅先で出会った人々の顔を思い出すという何とも嬉しいサプライズで旅の締めくくりとなりました。

エンジンは好調ですが、運転操作を実習中に排気管から大量の白煙を吹いて急速にパワーダウン!?
これは異常発生か?と焦って確認すると燃料噴射ポンプとエンジンタイミングギアーから出力軸を繋ぐフランジボルトが一本脱落して噴射タイミングが狂っておりました。脱落ボルトを再度取付けして運転再開後は燃焼状態も良くなり通常運転へ・・・
本当にビックリしましたが、良い経験になりました。
当時の文献には、ハ号はフォードトラックの運転を少し難しくした感じで、チハ車はハ号に比べると走らせるのが大変難しく、止めるのも同様に難しいとあります。実際に運転した感覚としては、ハ号に関してはノンシンクロの大型トラックの運転と比べて、ハンドル操作が楽ちん。ギアチェンジはダブルクラッチに失敗すると低速ギアは本当に絶望的な操作性。この感覚はどこかで・・・と思ったら、20年ほど前のモンゴルでのT54操縦体験と酷似しています。まさかT54戦車の操縦が役に立つ日が来るとは思いませんでした。何事も経験ですね!?

左から英国でのハ号整備担当のアンドリューさん、前オーナーのオリバーさん、自分の右はNPO賛助会員で海外渉外担当の岸田さん。今回は通訳や各署との交渉で活躍してくださいました。
2019年に受領検査の際に発覚した未整備個所の作業は、武漢熱によるロックダウンの影響で大幅に遅れたものの、現在は順調に進んでおり、この分なら年内には引き渡し可能になるではないか?とのこと。そうなるといよいよ日本への移送手段の確保と、輸送費の捻出が急がれます。

今回の英国10日間の滞在は、これまでで一番長い海外旅行となりました。
なんとか振り出しのヒースロー空港から羽田へ飛び立つことが出来ました。
そもそも、武漢熱による航空便減便の影響で、現地到着時刻が夕方となるので空港周辺に一泊してから動き始めるというスケジュールで一日余分にかかること。さらに帰路の飛行機搭乗前72時間以内のPCR検査が必要ということで、万が一に備えて帰国2日前にヒースロー空港周辺に戻ってPCR検査を受けることにして最終日は丸一日予備日としたための10日間という旅程になりました。通常なら6日か7日で済んだ旅程ですね・・・"(-""-)"

今回、航空会社から案内があって初めて知ったアプリ「MySOS」。
最初は赤い画面背景なのですが、渡航先情報や搭乗航空路線情報、ワクチン接種情報などを登録すると黄色背景に変わり、英国でのPCR検査結果を登録するとご覧のように青色背景に変わって、無事に帰路の飛行機に乗ることが出来るというシロモノ。
こんなことやってる国は日本以外にもあるのでしょうか?

今回のフライトはウクライナ情勢を受けて、往路はロシア上空を避けて北極圏を飛行したために、羽田離陸後に太平洋を北北東に進んだので、いったいどこに向かっているのかパニックになる始末。帰路はご覧のとおりトルコ上空を抜けて南回りでの帰国となりました。遠いです・・・

10日間も羽田空港にクリマを駐車すると駐車料金も馬鹿にならないというのと、前回オーバーブッキングで搭乗便変更となり成田に降ろされて羽田までクルマを取りに戻った苦い経験から、今回はリムジンバスで新宿へ、そこから高速バスで御殿場へ帰る経路を選択。車内アナウンスが日本語ってこんなに嬉しいことはない!?

リムジンバスのお外が暗いことからお判りの通り、時間も遅かったのでバスタ新宿至近のホテルに一泊して朝一番のバスで御殿場に帰ったのですが、ホテルの朝食会場には「英国フェア」の文字と共にユニオンジャックが並びます!何かの悪い冗談かとおもいましたが、朝食はイングリッシュブレックファースト以外も選べたので良しとします。
今回の英国滞在ではモンティイパソンを連想させる出来事が多く、英国式ブラックジョークの洗礼をタップリ受けて来ましたので、新宿のホテルでの英国フェアで、それらの出来事と旅先で出会った人々の顔を思い出すという何とも嬉しいサプライズで旅の締めくくりとなりました。