橘祭

郷土連隊という言葉をご存じですか?小学校の校区みたいな感じで、応召した兵隊さんが入営する連隊のことです。ちなみに静岡は歩兵34連隊で、大東亜戦争までは駿府城に駐屯していたそうです。戦後、陸上自衛隊が創設され静岡郷土連隊を受け継いで、御殿場の地に「板妻駐屯地普通科34連隊」として伝統を守り今に至ります。
歩兵34連隊と言えば橘中佐のエピソードは切っても切れない訳でして、自分も大凡は判っていたつもりですが、本日初めて「橘祭」に参加してその意味を感じて参りました。


自分の曾祖父も祖父も、静岡34連隊でした。祖父の戦歴は漠然と聞いておりますが、面識が無い曾祖父は座敷の記念写真で日露戦争従軍歴があるということが判るくらいです。家族内でもすでに詳細が分かる人も居らず、もしかしたら橘連隊だったのかな?などと思うと感慨深いものがあります。
写真右は橘中佐のお孫さん(といっても還暦を回られております)で、長崎県の「橘神社」の宮司さんをしておられる方が駆けつけてご挨拶されておりました。時代は変われど、人の営みは綿々と切れることがありません。歴史教育という魔法の言葉に惑わされることなく、祖先の足跡はしっかり確認し、記録するべきで、これが出来ない国や民族は滅び行くのだと感じます。大上段に構えることなく、自分の日常を綴る日記やブログは大切な記録だと思います。

そこで、記録その1、板妻駐屯地に昨年やってきた74式戦車(笑)
富士学校で用途廃止になった車両で、今回確認したところ製造番号はSTB-0389号車、昭和57年12月の生産。74式戦車の展示に伴い、同地に展示されていた61式戦車は駒門駐屯地へ移されました。錆びた履帯が痛々しいですが、逆に昨年まで生きていた証です。来年以降は黒ペンキをべったり塗られてしまうことでしょう。