鳥取県大山の麓へ・・・1日目
早朝5時30分に御殿場を出発、沼津経由で一路羽田へ。

空路で一時間少々。やって参りました、米子鬼太郎空港は手荷物受け取りのターンテーブルに物の怪の気配が・・・(笑)
弊社のロングラン商品である「日本陸軍の戦車」に、恥ずかしながら執筆させていただいた戦車改造のブルドーザー記事があります。そのキッカケは今回ご同行させて頂いた丹羽次郎さんとの出会いから始まります。
丹羽さんは沼津市在住で、大正13年生まれの88歳!
昭和23年ごろに、大山の麓に入植された満州からの引き上げ開拓団の依頼で、戦車ブルドーザーを使っての開墾作業に従事されました。
今回の旅の始まりは「エバンゲリオン」で有名なアニメ製作会社のガイナックスさんです。
その顛末は2日目の日記に譲るとして、縁あって丹羽さんと共に六十数年ぶりに開拓の地に舞い降りました。

予定の時間より少し早く到着したので、まずは開拓1世の顕彰碑へお参り。
亡くなられた開拓団の方々のお名前を辿りながら、丹羽さんの遠い記憶が交錯します。

そうこうする内に米子市役所観光課のO山さんが到着、香取開拓農協の田尾組合長を交えてお話が弾みます。
その後、近所での畑仕事を中断して開拓一世の大林さん(写真右端)も加わり、満州引き上げから、大山への入植、そして戦車ブルドーザーが登場する辺りまで、吉本新喜劇のような軽妙なトークで大笑いです。

六十数年ぶりの邂逅で話は止まりませんが、当時の開拓本部と戦車改造ブルーザーの宿営地があった場所に移動します。現在の開拓農協さんから直線で500mほどのところですが、現在は整地された空き地になっており、当時を偲ぶようすがは裏を流れる谷川くらいです。当時は毎日の飲料水と風呂の水を谷川からくみ上げていたそうです。もちろん五右衛門風呂。
そんな話に盛り上がる丹羽さん(左)と大林さん(右)。
再会を約してお別れ。

帰り道、自分が道に迷って遠回りしました。
しかし、偶然「大山口駅」にぶつかりました。ここは丹羽さんが戦後復興の希望と、若さゆえの不安を抱えて降り立った駅。そして一年半後には、2台の戦車ブルドーザーと共に次なる作業場所に旅立った駅でもあります。
夜のお宿は、丹羽さんが当時息抜きのためにスタッフ一同で何回か投宿したという皆生温泉へ。
米子市役所観光課のバイタリティーの塊O山さんお勧めのお店へ向かいます。

日本海沿岸、境港を擁する米子は魚貝の宝庫。
静岡県民も魚に対する舌は肥えているので、北海道あたりでもめったに感動しないのですが、清水港近郊出身の吉祥寺の怪人さんも大絶賛。なにせ、ひかり魚にめっぽう弱い自分も刺身で上機嫌になるくらいです。
このボリュームで、お値段もびっくりするくらい安いのは、地元の隠れ家的なお店だからでしょうか?
米子観光協会万歳!!なのです。

調子にのって、普段なら絶対にはしを付けないであろう「サバのシャブシャブ」にチャレンジ!
お皿を持っているのは、米子市役所観光課ホープUくんです。
これがまたビールに合うんですよね~。
沼津生まれの生粋の浜っ子である丹羽さんも太鼓判。
来年の社員旅行は米子も良いなあ~と思う社長であります。
2日目へ続く!?

空路で一時間少々。やって参りました、米子鬼太郎空港は手荷物受け取りのターンテーブルに物の怪の気配が・・・(笑)
弊社のロングラン商品である「日本陸軍の戦車」に、恥ずかしながら執筆させていただいた戦車改造のブルドーザー記事があります。そのキッカケは今回ご同行させて頂いた丹羽次郎さんとの出会いから始まります。
丹羽さんは沼津市在住で、大正13年生まれの88歳!
昭和23年ごろに、大山の麓に入植された満州からの引き上げ開拓団の依頼で、戦車ブルドーザーを使っての開墾作業に従事されました。
今回の旅の始まりは「エバンゲリオン」で有名なアニメ製作会社のガイナックスさんです。
その顛末は2日目の日記に譲るとして、縁あって丹羽さんと共に六十数年ぶりに開拓の地に舞い降りました。

予定の時間より少し早く到着したので、まずは開拓1世の顕彰碑へお参り。
亡くなられた開拓団の方々のお名前を辿りながら、丹羽さんの遠い記憶が交錯します。

そうこうする内に米子市役所観光課のO山さんが到着、香取開拓農協の田尾組合長を交えてお話が弾みます。
その後、近所での畑仕事を中断して開拓一世の大林さん(写真右端)も加わり、満州引き上げから、大山への入植、そして戦車ブルドーザーが登場する辺りまで、吉本新喜劇のような軽妙なトークで大笑いです。

六十数年ぶりの邂逅で話は止まりませんが、当時の開拓本部と戦車改造ブルーザーの宿営地があった場所に移動します。現在の開拓農協さんから直線で500mほどのところですが、現在は整地された空き地になっており、当時を偲ぶようすがは裏を流れる谷川くらいです。当時は毎日の飲料水と風呂の水を谷川からくみ上げていたそうです。もちろん五右衛門風呂。
そんな話に盛り上がる丹羽さん(左)と大林さん(右)。
再会を約してお別れ。

帰り道、自分が道に迷って遠回りしました。
しかし、偶然「大山口駅」にぶつかりました。ここは丹羽さんが戦後復興の希望と、若さゆえの不安を抱えて降り立った駅。そして一年半後には、2台の戦車ブルドーザーと共に次なる作業場所に旅立った駅でもあります。
夜のお宿は、丹羽さんが当時息抜きのためにスタッフ一同で何回か投宿したという皆生温泉へ。
米子市役所観光課のバイタリティーの塊O山さんお勧めのお店へ向かいます。

日本海沿岸、境港を擁する米子は魚貝の宝庫。
静岡県民も魚に対する舌は肥えているので、北海道あたりでもめったに感動しないのですが、清水港近郊出身の吉祥寺の怪人さんも大絶賛。なにせ、ひかり魚にめっぽう弱い自分も刺身で上機嫌になるくらいです。
このボリュームで、お値段もびっくりするくらい安いのは、地元の隠れ家的なお店だからでしょうか?
米子観光協会万歳!!なのです。

調子にのって、普段なら絶対にはしを付けないであろう「サバのシャブシャブ」にチャレンジ!
お皿を持っているのは、米子市役所観光課ホープUくんです。
これがまたビールに合うんですよね~。
沼津生まれの生粋の浜っ子である丹羽さんも太鼓判。
来年の社員旅行は米子も良いなあ~と思う社長であります。
2日目へ続く!?