四式中戦車に関する情報整理その2
2013年(平成25年)1月5日、6日、7日の3日間に渡る潜水調査のを立会人の立場でレポートします。
公式な報告は三ヶ日町まちおこし団体「スマッペ」さんのHPをご覧ください。
さて、12月19日に㈱フジヤマさんのご協力で作成された湖底図です。

9箇所のナンバーが振られた「モノ」が何かしらの人工物と思しき、湖底の物体たちです。
4番と5番は目撃証言や、大平さんの証言からもウインザーキャリヤの残骸か、他の物体と想定されます。
本命は6番、8番、9番のあたりです。
一回目の「突き突き大作戦」で金属音がしたのが、このあたりなのです!

5日(土)は初日と言うことで、湖底には四式チトが見えるはず!
と意気込んで潜水調査が始まりますが・・・
水深10m近辺の視程はわずかに2mほどで、1番、2番、3番は人工物ではなく、自然の岩盤であると判明。
お目当ての6番、8番、9番はキャンピングチェアー、バスタブ、ゴミ箱と判明・・・
悔しいのでダイバーさんに頼んでキャンピングチェアーを引き上げます!?

初日の結果として、音響調査で確認された人工物は堆積土砂の上にあるもので、戦車のような重量物は土砂の下に潜り込んでいる可能性が指摘されました。
そして迎えた6日(日)の二日目は、念のために4番、5番を確認する作業からスタート。

またゴミ箱かしらん?
と思ったら、4番は片側に3個ずつ転輪らしきモノがついた手ごろな大きさの物体を視認とのこと!
実は、ウインザーキャリアはカナダ製の車両で、製造は昭和19年(1944年)からという代物。
そもそも、ここに沈んでいるとすれば、四式中戦車よりも謎の車体となるので、沈んでいるのは初期のマレー半島からシンガポール戦で接収されたユニバーサルキャリア又はブレンガンキャリア辺りだろうと、ファインモールド鈴木社長と話してしたばかりなので、片側3個と言う転輪数に期待は高まります!!
しかし、昭和二十年代にウンザーキャリアは解体業者が回収したはずでは・・・
いやいや、目撃証言は当てにならんかも・・・
などと写真撮影中は陸のギャラリー連中は、勝手に盛り上がったのです。
撮影された写真を見て、現物判断できるのは鈴木社長と自分ぐらいなので、他の方々の羨望の眼差しとも、マニアは怖いよ~という冷たい視線を浴びながら検分すること数分。
どうやら車両ではありません。
個人的には「浮き桟橋」あるいは「生簀」のような漁具に見えます。
水深7m付近での泥が舞い上がる地形のため、当日3回の潜水調査で2日目は時間切れとなりました。

7日(月)の調査最終日は、5番の確認からスタート。
これは、ひっくり返った自動車でした。
写真からも古い車種のようですが、詳細は堆積物のため不明。
終戦直後、戦車以外にも軍用自動車(連合軍からの分捕り品)をGHQの追求を恐れて投棄したという証言もあるので、これはこれで調査の必要はありますが、時間の制約もあるので本筋に戻ります。
本日は、初日の結果から想定される「戦車は堆積土砂の下にある」という仮定の下、3名のダイバーがそれぞれに2m程の鉄棒を持って湖底を突く作戦です。

しかし、闇雲に突くのではなく、湖岸から5mほどで水深が3mくらいの場所から一気に急傾斜で水深10mくらいに落ち込んだあたりに戦車が突っ込んでいるという想定で、3名が横に展開して2m間隔に突いていく作戦です。
そもそも「渡し舟から見えた」とか「橋の上から見えた」という証言から、一番怪しい場所からスタート。
すると、しばらく移動していた空気の泡があるポイントから5分度動かなくなりました。
そして水面に3名が上がって来て「何か湖底の泥の中30cmくらいのところに大きな鉄の塊がある!」とい声が!!
ダイバーさんの証言を元に想像、いや、妄想するとこんな感じです。

浜辺から緩やかに数メートル進んだ戦車は、崖のような急斜面をすべる様に落ち込み、横向きで停止。
その上に30cmから50cmほど土砂が堆積しているという感じ。
戦車の砲塔がありませんが、これは当時の目撃談でチト以外に砲塔のない戦車が沈められたというものがあり、当初はユニバーサルキャリアのことを言っていると思われたのですが、そうではないという新説に基づきます。
四式中戦車の相模原~御殿場の富士演習場への走行試験には三式中戦車への四式中戦車砲塔の積み替え搭載試験が
含まれていました。試験後に御殿場から豊橋まで鉄道輸送により2台一緒に行動している記録が残っています。状況証拠から想定すると、もう一台の戦車は砲塔なしの三式中戦車と考えるほうが自然です。
部隊に数多くあった九七式中戦車チハを、なぜ一台だけ沈めたか?
特別な改造をした車両だったと言われていましたが、実態は謎でした。
しかし、試験車両の改造三式車体だったとすれば合点が行きます。
そうなると発見した九七式中戦車チハは、三式中戦車チヌの車体なのかもしれません!!
いずれにしろ、発見場所の湖底に目印のポールを打ち込んで、第一回目の潜水調査は終了。
手がかりの見つからない四式中戦車チトについても、今後調査を継続するだけの盛り上がりがあります。
地元新聞、TVなどで今回の調査は取り上げられました。
戦車マニアや模型マニアではない、普通の方々が興味を持ってくれたことが大きいです。
2月以降に「スマッペ」さんの次なる動きに期待しましょう。
公式な報告は三ヶ日町まちおこし団体「スマッペ」さんのHPをご覧ください。
さて、12月19日に㈱フジヤマさんのご協力で作成された湖底図です。

9箇所のナンバーが振られた「モノ」が何かしらの人工物と思しき、湖底の物体たちです。
4番と5番は目撃証言や、大平さんの証言からもウインザーキャリヤの残骸か、他の物体と想定されます。
本命は6番、8番、9番のあたりです。
一回目の「突き突き大作戦」で金属音がしたのが、このあたりなのです!

5日(土)は初日と言うことで、湖底には四式チトが見えるはず!
と意気込んで潜水調査が始まりますが・・・
水深10m近辺の視程はわずかに2mほどで、1番、2番、3番は人工物ではなく、自然の岩盤であると判明。
お目当ての6番、8番、9番はキャンピングチェアー、バスタブ、ゴミ箱と判明・・・
悔しいのでダイバーさんに頼んでキャンピングチェアーを引き上げます!?

初日の結果として、音響調査で確認された人工物は堆積土砂の上にあるもので、戦車のような重量物は土砂の下に潜り込んでいる可能性が指摘されました。
そして迎えた6日(日)の二日目は、念のために4番、5番を確認する作業からスタート。

またゴミ箱かしらん?
と思ったら、4番は片側に3個ずつ転輪らしきモノがついた手ごろな大きさの物体を視認とのこと!
実は、ウインザーキャリアはカナダ製の車両で、製造は昭和19年(1944年)からという代物。
そもそも、ここに沈んでいるとすれば、四式中戦車よりも謎の車体となるので、沈んでいるのは初期のマレー半島からシンガポール戦で接収されたユニバーサルキャリア又はブレンガンキャリア辺りだろうと、ファインモールド鈴木社長と話してしたばかりなので、片側3個と言う転輪数に期待は高まります!!
しかし、昭和二十年代にウンザーキャリアは解体業者が回収したはずでは・・・
いやいや、目撃証言は当てにならんかも・・・
などと写真撮影中は陸のギャラリー連中は、勝手に盛り上がったのです。
撮影された写真を見て、現物判断できるのは鈴木社長と自分ぐらいなので、他の方々の羨望の眼差しとも、マニアは怖いよ~という冷たい視線を浴びながら検分すること数分。
どうやら車両ではありません。
個人的には「浮き桟橋」あるいは「生簀」のような漁具に見えます。
水深7m付近での泥が舞い上がる地形のため、当日3回の潜水調査で2日目は時間切れとなりました。

7日(月)の調査最終日は、5番の確認からスタート。
これは、ひっくり返った自動車でした。
写真からも古い車種のようですが、詳細は堆積物のため不明。
終戦直後、戦車以外にも軍用自動車(連合軍からの分捕り品)をGHQの追求を恐れて投棄したという証言もあるので、これはこれで調査の必要はありますが、時間の制約もあるので本筋に戻ります。
本日は、初日の結果から想定される「戦車は堆積土砂の下にある」という仮定の下、3名のダイバーがそれぞれに2m程の鉄棒を持って湖底を突く作戦です。

しかし、闇雲に突くのではなく、湖岸から5mほどで水深が3mくらいの場所から一気に急傾斜で水深10mくらいに落ち込んだあたりに戦車が突っ込んでいるという想定で、3名が横に展開して2m間隔に突いていく作戦です。
そもそも「渡し舟から見えた」とか「橋の上から見えた」という証言から、一番怪しい場所からスタート。
すると、しばらく移動していた空気の泡があるポイントから5分度動かなくなりました。
そして水面に3名が上がって来て「何か湖底の泥の中30cmくらいのところに大きな鉄の塊がある!」とい声が!!
ダイバーさんの証言を元に想像、いや、妄想するとこんな感じです。

浜辺から緩やかに数メートル進んだ戦車は、崖のような急斜面をすべる様に落ち込み、横向きで停止。
その上に30cmから50cmほど土砂が堆積しているという感じ。
戦車の砲塔がありませんが、これは当時の目撃談でチト以外に砲塔のない戦車が沈められたというものがあり、当初はユニバーサルキャリアのことを言っていると思われたのですが、そうではないという新説に基づきます。
四式中戦車の相模原~御殿場の富士演習場への走行試験には三式中戦車への四式中戦車砲塔の積み替え搭載試験が
含まれていました。試験後に御殿場から豊橋まで鉄道輸送により2台一緒に行動している記録が残っています。状況証拠から想定すると、もう一台の戦車は砲塔なしの三式中戦車と考えるほうが自然です。
部隊に数多くあった九七式中戦車チハを、なぜ一台だけ沈めたか?
特別な改造をした車両だったと言われていましたが、実態は謎でした。
しかし、試験車両の改造三式車体だったとすれば合点が行きます。
そうなると発見した九七式中戦車チハは、三式中戦車チヌの車体なのかもしれません!!
いずれにしろ、発見場所の湖底に目印のポールを打ち込んで、第一回目の潜水調査は終了。
手がかりの見つからない四式中戦車チトについても、今後調査を継続するだけの盛り上がりがあります。
地元新聞、TVなどで今回の調査は取り上げられました。
戦車マニアや模型マニアではない、普通の方々が興味を持ってくれたことが大きいです。
2月以降に「スマッペ」さんの次なる動きに期待しましょう。