夏休みの自由研究です!(その1)
レッカー待機で時間はたっぷりありますので、本日の日記は長~いですよ!

チェコ共和国でレストア最終段階に差し掛かった、シュタイヤー1500A/02兵員輸送車。
今回は海の向こうでの作業なので、自分は手出しも出来ません。
そんなわけで、待ってる間にいろいろと自分なりに調べて、それなりに判ったことを備忘録として書きとめておきます。
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第二次世界大戦の開戦当初、ドイツ軍は実に多種多様な軍用自動車を装備していました。
実際に、開戦前のチェコ併合時や開戦劈頭のポーランド侵攻では、民生流用による耐久性不足等の根本的な問題をはらんだ故障が多発し、修理や部品補充にも多くの問題があることが明らかになりました。
そこで、統制型の軍用自動車の必要性が叫ばれることになります。

「まやかし戦争」などと呼ばれる、1939年冬から1940年春のフランス侵攻までの期間は、外交上の思惑や戦略上の決心もあったのでしょうが、奇妙で静かな時間が経過します。まさか英、仏が宣戦布告するとはドイツ側が思っていなかったというのが歴史の定説ですが、電撃戦理論を推し進める上で、機甲部隊として運用する戦車や軍用自動車の修理と整備に追われていたのが現場の実情だと感じます。
実際に、戦争は半年で終わると他ならぬヒトラー自身も考えている時期に、軍事統制経済への移行など出来るわけがありません。一部、総統閣下の覚え目出度いポルシェ博士のVWキューベルワーゲンがラインアウトし、フランス戦線に姿を現しますが、1940年末までに生産されたキューベルワーゲンは僅か1000台程なのです。
注意すべきは、最初の試作車が軍に引き渡されたのは1939年11月と記録されており、ポーランド戦役にはVWキューベルワーゲンは使用されていません。さらに、量産型のラインアウトは1940年夏以降となっており、フランス戦役に登場したVWキューベルワーゲンは、先行試作型と呼ばれるべきもので我々がプラモデル等で目にする車両とは細部がかなり異なったはずです。そしてその数は僅か数十台程度だったと思われます。
付け加えれば、1940年生産の1000台についても、今日の軍用自動車研究家は増加試作型とか、極初期生産型と分類する希少なタイプで世界中にも数台しか現存しません。

VWキューベルワーゲンについては、戦時統制型(軍部が戦争遂行のために物資供給や生産に大きな権力をもち、メーカーをコントロール下に置いて、各種工業製品を効率よく生産するために規格を統一した製品)と言うよりも、戦前から開発が進められていた、国民車を軍事用に転用したものであり、タイミング良く「そこにあった」車両だったことが判ります。米軍MB/GPWを比較して語られることが多いですが、実際には出自がまったく違うということですね。
ドイツでは戦時統制が「掛け声」として叫ばれては居ましたが、1940年末にモスクワ攻略に失敗した頃でも、まだ掛け声だけといった感じです。実際に英国本土攻略も失敗し、日本の真珠湾攻撃により米国が参戦、さらに独ソ戦が文字通り泥沼化したころになってやっと「掛け声」から、実践段階に入ります。要するに戦争継続に関する展望なんて持っていなかったということです!

さてそんな1940年末に、いよいよシュタイヤー1500Aの開発が始まります。

野戦乗用車に始まり、トラックなどの各車種の統制規格化が進み、積載重量1.5トンのトラックも各社に統制が掛かります。
米国風なら積載量1と1/2トントラックと呼びますが、ドイツでは積載量1500キロトラックという呼び方がされました。ダイムラーベンツやアウディー、ホルヒなど各社で「1500」という名称のトラックシャーシが設計され、キャビンや荷台、兵員輸送車体の共通化が指示されます。
しかし、当時の写真を見ると、エンジンやシャーシはもとより、フロントグリルやボンネットフードなど各社専用設計であり、本気で「統制」する気があったのか?と感じるほど、まさに後世の模型メーカーのために多種多様な車両を乱造したとしか思えない、バラエティー豊かなキャラクター性のある車両達がこの時期に登場します。

この頃、VWキューベルワーゲン(ポルシェTyp82)の設計が終わり、ほっと一息つく暇もなく我らがポルシェ博士はキューベルワーゲンのコンポーネントを利用したシュビムワーゲン(ポルシェTyp128)の設計に取り掛かります。さらにVK3001(P)という開発名称のプライベートベンチャー的なハイブリット駆動戦車、ポルシェTyp100レオポルド戦車の試作をしたり大忙しです。
賢明な読者諸兄は、そろそろ察していると思いますが、1940年末にポルシェ設計事務所に依頼されたシュタイヤー社での型式呼称Typ270もポルシェの設計番号Typ147という番号を持つのです。

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こちらが1941年春に完成した、シュタイヤー1500Aの試作車である、ポルシェTyp147型の写真。
後の生産型とフロントバンパーやフェンダー形状、昇降用の足掛けの形状などが異なりますが、ほぼ量産型と変わりが無く、当初から良く仕上がった設計だったことが伺えます。

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現在レストア中のシュタイヤー1500Aの心臓である、空冷V形8気筒ガソリンエンジンもポルシェ設計事務所の仕事。やはりポルシェTyp145という番号を持ちます。
写真ではファンベルトやプラグコードが未装着のため、空冷エンジン独特のオイルクーラーや冷却ファンシュラウドの形状が良く判ります。

ポルシェ博士が1940年から41年ごろに設計に携わった設計番号100番台の製品は、シュビムワーゲン量産型Typ166が知られますが、宮崎駿さんの雑草ノートで一躍有名になったポルシェ・ティーガー(心臓に空冷V型10気筒エンジンと発電ユニット&駆動モーターを2機搭載)はポルシェTyp101という番号を持ちます。
世界にも前例を見ない駆動システムを搭載した、最強の重戦車を設計しながら、水陸両用車のマスターピースと言えるシュビムワーゲンを設計している合間に、シュタイヤー社からの依頼でこんなトラックと専用エンジンまで設計しているとは、まったく想像もしていませんでした。どういう仕事の進め方をしていたのでしょうか?

きっと寝てませんよ・・・それがポルシェ・ティーガーの敗因かも(笑)

専用空冷エンジンがポルシェTyp145で、シャタイヤー1500A(Steyr Typ270)がポルシェTyp147と書きましたが、それではその間のポルシェTyp146は何だろうかと調べてみると、シュタイヤー1500だということが判明しました。
シュタイヤー1500は普通のFRタイプの後輪2輪駆動モデルで、当時ロシアの悪路で苦闘する現場の悲鳴が漏れ伝わったことにより、ペーパープランだけで終了。全輪駆動(Allradantrieb)モデルであるシャタイヤー1500Aが生産されることになったのです。1500Aの「A」は全輪駆動を表す記号だったのです。

大分長くなりました。シュタイヤー1500A研究「その1」はここまで。

ご要望があれば、「その2」生産と機能。「その3」シュタイヤーRSOとの関係なども備忘録として書き留めたいと思います。
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