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桜咲き 昭和は 遠くなりにけり
「嵐山美術館の功罪についての考察」と題して、クラウドファンドReadyforさんのサイトに
掲載した新着情報が好評なので、拙ブログにも掲載させて頂きますm(__)m

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自分は高校生の修学旅行の際に班ごとの自由行動で「京都嵐山美術館に行きたい」と
騒ぎましたが・・・多数決に負けて叶いませんでした。1988年の事だと思います。
その後数年で嵐山美術館は閉館となり、自分は結局訪問出来ずじまいで、この九五式
軽戦車の当時の様子を実見しておりません。

02_嵐山01

そんな京都嵐山美術館については、様々な情報が飛び交っていますが、実際のところは
どうだったのでしょうか?資料によれば1986年開館し、5年後の1991年には閉館して
います。
日本では、こと軍事関連になると感情的に判断される方が多く、客観的な資料の分析に
基づいた冷静な議論の上に結論を導くということが難しい現状です。ましてネット上となれ
ば、脊髄反射的なコメントが多く寄せられるために更に状況は混沌としています。

これは学校で軍事や軍事史を教えないこと、また自分を含むミリタリーマニアと呼ばれる
方々が、実はプラモデルマニアだったり、乗り物マニア、或いはガンマニアだったりと、個
人の趣味の延長線で兵器や武器に接していることも遠因のひとつであり、いわゆる軍事
専門家が育ちにくい土壌があることが最大の問題です。

07_嵐山02

自分が防衛技術博物館の設立を目指す活動を始めて10年が経過しますが、実行者の
立場になって、現在ではちがった角度から京都嵐山美術館のことがとても気になります。
とかくコレクションを死蔵する傾向にある収集家が多い中で、私財を投げうってコレクショ
ン収集し、多くの方に見て頂いた功績は大きいと思います。

閉館時のドタバタで展示品が散逸したことも含めて、我が国に於ける戦争博物館のあり
方に一石を投じたことは間違いありません。バブル前夜の日本の政治環境で、戦争博物
館に公費を投じるような空気は全くと言って良いほど無かったと記憶します。

その後の各地の戦争博物館で、嵐山の様にしない、させないという一つの物差しを提供
していることも大きな功績です(関係者には申し訳ない書き様ですが・・・)。
ここで、嵐山博物館の名誉のために申し上げて置きたいことは「展示物の管理が杜撰で
部品が盗まれた」というのは盗人側の理論で、本来は「盗んだ人を責めるべき」で、「来館
者に少しでも本物に触れて貰いたい」という趣旨で内部公開していた嵐山美術館の展示
方針は、事実として重く受け止める必要があるという点です。

皆さんも、内部の写真撮影したいとか、コックピットに座ってみたいと思いませんか?それ
を当時実現してくれたことにまずは敬意を払いませんか?私立博物館の宿命ともいえる、
熱意のある管理者が他界された際の準備不足と、はじめてのことに戸惑ったご遺族や、
支援者など周囲の対応の稚拙さも大きな勉強材料と言えます。

また、展示物の一つ、戦闘機「疾風」の主翼切断について「輸送時に切断してしまい、二度
と飛べなくした」というのは事実誤認です。先般、当該戦闘機の学術研究が知覧特攻記念
館の協力の下で行われていますが、戦後にアメリカ人によって飛ばすために補修、補強さ
れた部分はあっても、主翼(主桁)を切断した痕跡は見当たらないとのこと。

知覧 疾風
*写真提供:零戦計器板研究家の中村さん

「疾風」に関しては、先般里帰りを果たした「零戦復元機」と同様に、日本の航空法の高い
壁と、上記のような誤った情報を確認もせずに拡散する無理解とが「飛べなくした」大きな
理由だと感じます。

付け加えれば「復元機」ではないオリジナルの機体は、飛行可能でも飛ばさないという考
え方もあります。博物館の資料として保存するのか?科学技術館の教材として保管する
のか?という目的による違いです。


現在進行中の「九五式軽戦車修復里帰りプロジェクト」にも、様々なご意見を頂戴しており
ます。今まで出来なかったからこそ、先達の失敗に学び、我々は公設の博物館の設置とそ
こへの収蔵展示を計画しております。

IMG_0025.jpg
*自民党国会議員による「防衛技術博物館の設置を実現する議員連盟」総会の様子。会
長は元防衛大臣の中谷元氏、会長代行は石破茂氏、事務局は城内実氏。歴代防衛大臣
経験者が名を連ねて頂いております。左から三番目が実行者小林。





もちろん、評論や批評は、将来の博物館設立のための建設的ご意見として拝聴する心構え
でおります。しかし、「日本では無理」「過去に失敗しているのに、また繰り返すのか」「国が
やるべきことだ」といった感情的、情緒的ご感想をお持ちになるのはご自由ですが、当方に
ぶつけられても困ります。

「日本では無理」という方には、このエピソードをご紹介します。自分が小学生のころには「日
本人の体格では100m走で10秒切れない!」と真面目に体育の時間に先生がおっしゃって
いたことを鮮明に覚えています。過去に我が国では無理と言われたことが覆ることは多々あ
ります。

現状はご存知のとおりです!

「過去に失敗してるのに、また繰り返すのか」という方にお聞きします。一般論として、失敗の
先に成功があることは当り前です。有名な海外の戦車博物館でも設立当初は、たくさんの失
敗とご苦労があったそうです。我々が見聞する海外の博物館は、過去に失敗を乗り越えた「
成功事例」なのです。

「国がやるべきことだ」とおっしゃる方は、国にやって下さいとお伝えください。自分も想いは同
様です。具体的方法が判らないという方は、是非NPO法人防衛技術博物館を創る会の賛助
会員になって、応援してください。少なくとも、国がやってくれないからと、個人で頑張っている
方に批判の矛先を向けることは見当違いであるとご理解ください。

僅か5年間の運営期間にも関わらず、いまだに巷間に囁かれる「嵐山美術館」の様々な評価。
今回は直接運営に関係した方や、閉館後の収蔵品移設に関わった方に聞き取りした内容を
自分なりに整理してみました。

一人も多くの方々が、正しい情報に接し、判断し、それぞれの立場でそれぞれが出来ることを、
すぐに行って頂ければ、本プロジェクトの成功はもちろん、日本初の公設戦車博物館の実現は
思ったよりも近い将来に実現すると確信しています!

皆さまのご支援をお待ちしております。
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201904031525
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この記事のコメント
 
201904032242
確か嵐山美術館は1986年よりもっと前からあったんだろうと思います。

KKワールドフォトプレスより昭和59年7月3日に発行した「自衛隊1984」という本の裏表紙一面全部を使って嵐山美術館の告知が零戦その他の写真とともに大きく出てますし、昭和53年にプレーンズオブフェイムから来た零戦52型を扱った「零戦33年ぶり故郷を飛ぶ」みたいなタイトルのテレビ番組の中で嵐山美術館の映像が出てきて「今年琵琶湖から引き揚げられた零戦が、陸軍の名戦闘機疾風とともに展示されている。」というナレーションと一緒に零戦と疾風が並んで展示されている映像が出てきます。ちなみに閉館間近の時の痛んだ感じの両機の機体より、この昭和53年頃の機体はピカピカでキレイな状態なのが映像からも解る感じです。

少なくとも70年代には既に嵐山美術館はあったようです。
2019-04-03 Wed | URL | 888ミリ砲 #-[ 内容変更]

 
201904071518
その後調べましたら、月刊コンバットマガジン1983年8月号96~99ページに「ハイデンレポート京都嵐山美術館PART-2(という事は7月号がPART-1なのかな?)という記事がありました。しかも直前の95ページは一面嵐山美術館の広告ページになってます。住所や電話番号、年中無休で開館AM9:00~閉館PM5:30、大人700円、学生(中・高生)500円、小人350円等々の情報が出てますね!

もしかしたらPART-1のレポートの方に嵐山美術館の始まりの歴史みたいなのがあるのかもしれませんね!
2019-04-07 Sun | URL | 888ミリ砲 #-[ 内容変更]

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